SNS・AI時代の「新しいマスメディア」が必要~社会の共通認識なければ民主主義は機能せず 

SNSやAIが端緒となった現代のコミュニケーション革命は、新聞やテレビなどの伝統的なマスメディアを表舞台から消し去ろうとしている。しかし、マスメディアの不在は民主主義を機能不全に陥らせかねない。何らかの形でマスメディアの機能を存続させることが欠かせない。

伝統的なメディアの代表である新聞は、SNS時代の新しいマスメディアに生まれ変わる必要がある。そのためには①新聞社はニュースの取材と編集のコンテンツ制作に特化する②社会インフラとして公共性の強いマスメディアを支援する基金の創設③SNSやAIに「公共性のアルゴリズム」の導入を義務付ける--という3条件が求められる。

アメリカでは地域にマスメディアの存在しない「ニュース砂漠」が広がる。日本も手遅れにならない内に抜本的な対策を打ち出す必要がある。

SNSは人類史上初めて個人が、自分の考えを自由に発信することを可能にした。その結果、「個人(わたし)」は社会の最小単位に過ぎない存在から、「主役」に踊り出た。そして社会は集団を軸にした「みんなの社会」から、個人が中心の「わたしの社会」へ変わりつつある。

同時に、個人のメディアであるSNSの台頭は、新聞やテレビなどの衰退を招いた。新聞の発行部数はこの20年余りで半分に落ち込み、テレビの広告はインターネットのそれを大きく下回るようになった。

若者は新聞やテレビをほとんど見ず、一日の多くの時間をSNSで過ごす。SNSのアルゴリズムは利用者が好む情報ばかりを集めるので、若者は好きな情報だけに囲まれた「フィルターバブル」の住人になってしまう。

新聞もテレビも見ないので、自分と異なる意見を見聞きして、自らの考えを修正することもない。だから一度フィルターバブルの住人になると簡単には抜け出せなくなる。

人口の3割強を占める65歳以上の高齢者はまだ新聞やテレビを見ているが、あと20年から30年で寿命が来る。そうなればフィルターバブルの住人が日本の人口の100%を占める過去に経験したことのない時代がやってくる。

目次

マスメディアは民主主義の基盤である社会の共感つくり出す

民主主義は他者の経験を共有することで成り立っている。例えば、年末の年越しのテレビ番組で炊き出しに並ぶホームレスの親子の姿が流れたとする。視聴者は同情し、次の選挙では福祉予算の増額を訴える政党や政治家に投票しようと思うかもしれない。

人間は一人ですべてを経験することはできない。だから新聞やテレビなどのマスメディアを見て、自分の経験できないことを疑似経験するのだ。好きな情報しか流さないSNSの世界では、自分と異なる他者の経験を共有することは難しい。

その意味で共感を生むマスメディアは、民主主義を支える重要な基盤と言える。もし新聞やテレビがなくなり、SNSだけになってしまえば、他者の経験や痛みを共有できなくなり、民主主義は機能不全に陥るだろう。

同時に、SNSは個人の自由な情報発信を可能にしたが、それ故に膨大なフェイクニュースの嵐が私たちを襲うようになった。情報は膨大にあるが、どれが事実で、どれがフェイクなのか、わからなくなる。そうなると情報は価値を失ってしまう。

人類はこれまで経験したことのない「フェイクの時代」を迎えようとしている。そんな時代だからこそ、厳格な事実確認の機能を持つ新聞やテレビなどのマスメディアの存在価値は高まっていると考えられる。

早晩、日本でも「ニュース砂漠」が広がる恐れ

ただ、それでもマスメディアが今の姿で生き延びるのは難しいだろう。もちろん大前提は新聞社やテレビ局自身の血の出るような自助努力である。だが、そうだとしても生き残りは容易ではない。現にアメリカでは地元の自治体にマスメディアが1社もない「ニュース砂漠」が広がりつつある。ニュース砂漠の広がる地域では地方公務員や議員の汚職が増えているという。

このまま行けば早晩、日本でも「ニュース砂漠」が生まれる。そうならないためには従来の「タブー」にも正面から向き合い、抜本的な改革を実施する必要がある。

もはや個別の新聞社の経営問題にとどまらない。どうすれば民主主義を維持する社会インフラとしての新聞やテレビを「新しいマスメディア」に生まれ変わらせることができるか、ある意味社会全体が問われていると言えよう。

「新しいマスメディア」は次の3条件を満たす必要がある。新聞はこのままの経営形態で生き残るのは難しいので、ニュースの取材・編集部門と、紙の新聞の制作・配達部門を分離する。電力会社の発電と送電の分離と同じ考えである。

ニュースの流通経路としての紙の新聞の重要性は急速に薄れているので、そこはSNSやインターネットに任せる。一方、新聞で残さなくてはならないのはニュースを取材し、編集する機能、すなわちコンテンツの制作の機能である。

ネットに「共通プラットフォーム」構築、共通認識つくる新しい情報エリアに

「新しいマスメディア」としての新聞はコンテンツ制作に特化した組織になる。地方新聞などに配信する通信社とは異なるが、似ている点も少なくない。

紙の新聞制作を切り離した後は、ニュースを流通させる場を全面的にSNSやネットに切り替えるが、単にネットなどにニュースを流すことにとどまらない。改革の最大の狙いはSNS時代の「新しいマスメディア」をつくることである。

すでに述べたように現代のコミュニケーション革命は、集団を軸にした「みんなの社会」を個人中心の「わたしの社会」に変えようとしている。個人の影響力は格段に強まったが、一方で社会はバラバラになってしまったように感じられる。

この失われた「みんなの情報空間」を取り戻し、社会の共通認識を形成するため、ネット上に「共通プラットフォーム」を立ち上げる。個人化された現在の情報空間の中に、社会の共通認識をつくることができる新しい情報エリアを目指す。

新しい共通プラットフォームの具体像はこれから詰めるが、ニュースを提供するのは新聞社やテレビ局にとどまらない。「GAFA」や国内のネットニュース社、YouTuber、それに一般の個人を含めたほとんどすべての人がコンテンツ制作のステークホルダー(利害関係者)になる。

例えば、政治、経済、社会、スポーツ、芸能などの分野ごとに、その日のトップニュースを「共通プラットフォーム」の1面に掲載していく。新聞、テレビ、ネットニュースなどのプロの記者と、専門家や一般の人々が一緒に新聞の1面を編集するようなイメージだ。

さらにプロの記者が司会者となり、記者と読者などとの風通しの良いオープンな意見交換の場を設ける。フェイクニュースやアルゴリズムをみんなで監視したり、有名大学の授業をオンラインで無料または低料金で受けられるようにしたりする。

もちろんエンタメニュースも盛りだくさんだ。公共性、中立性、100%開かれた情報のオープンスペースを合い言葉に、失われつつある「みんなの情報空間」を再構築する。SNSやAIのアルゴリズムで細分化された「わたしの関心」を社会全体へ広げる「ゲートウェイ」にすることを最終目標にする。

次の課題はマスメディアを支援するための基金の設立である。新聞やテレビなどのマスメディアは民主主義を支える社会インフラと言える。公共の利益を第一に考え、国民の知る権利を中立公正の立場で代行する重要な役割がある。

「メディアに公的な資金を…」、というとすぐに報道の自由を損ないかねないなどと懸念する声が出る。もちろんそうした心配はあるが、そうならないように知恵を絞ることもできるはずだ。大学、病院、社会福祉法人、NPO法人などは補助金をもらっているし、NHKも税金に似た「資金」で運営されている。

2人のノーベル賞受賞者含む欧米の著名経済学者による緊急提言

2025年9月、J.スティグリッツ、D.アセモグルの2人のノーベル経済学賞受賞者を含む欧米の著名な経済学者11人が連名で緊急提言した。公共の利益を目的に活動する「公共利益のメディア」を支援するため、政府支援を含む対策を実施するよう訴えた。スティグリッツ氏はメディア支援の必要性について次の4つの理由をあげている。

①独立して信頼でき、公共の利益のために活動するメディアは、情報によって成り立つ社会や経済を支える「中央銀行」のような存在である。

②メディアが提供する情報は典型的な公共財であり、市場に任せるだけでは信頼できる質の高い情報は十分に供給されない。

③新聞などのメディアは「購読プラス広告」というビジネスモデルで支えられてきたが、SNSなどネットメディアの登場でこのモデルが成立しなくなりつつある。しかも、多くのネットメディアは新聞などの報道機関の知的財産を利用し、利益化している。

④公共利益メディアへの支援は慈善事業ではなく、民主主義を支え、健全な社会を維持するための将来への必要不可欠な「投資」である。

もちろんマスメディアに公的な資金を入れるに際しては、政府の介入を許さない厳格なルールの下で行われる必要がある。政府から切り離して独立した基金をつくり、運営は有識者やメディア関係者などからなる中立の委員会に任せる。

財政資金は政府のお金ではなく、国民の税金である。繰り返しになるが、政府の介入を恐れて公的な財政支援の制度を設けず、結局、マスメディアが経営に行き詰まり、消滅してしまうのがいいのか。

政府介入の心配は残るものの、最大限の努力で中立性を保つ仕組みをつくり、SNS時代の民主主義を守る役割を果たさせるのとどちらが良いのか。今、その選択を我々は迫られているのだ。

SNSやAIのアルゴリズムの「ガバナンス強化」が必須

最後のそしてある意味で最も重要な条件が、SNSやAIのアルゴリズムの「ガバナンス」の強化である。SNSもAIも予測や判断の際のルールである「アルゴリズム」を使う。

SNSのアルゴリズムは視聴履歴を元に、ユーザーが好きそうな情報を先取りしてスマホなどに表示する。SNSのアルゴリズムはユーザーに情報が届く流通経路の「入口」に立つ門番。ユーザーが好む情報は中に入れるが、そうでないものは排除する。

一方、AIは「生成AI」という名前の通り「情報」を生み出すのが仕事である。ユーザーの質問やプロンプト(指示)の履歴を分析しながら、ユーザーが好む「情報」や「物語」を作成し、提供する。

SNSのアルゴリズムが情報の入口ならば、AIのそれは情報の「出口」。つまり人間はSNSとAIのアルゴリズムによって、情報の入口と出口の両方をコントロールされていることになる。

新聞やテレビの公共性の高いニュースの多くは、SNSのアルゴリズムによって入口ではじかれてしまう。公共性の高い情報が入ってこないので、AIのつくる「情報」も公共性の低いものとなり、「出口」から発信される。今やアルゴリズムが「世論」をつくり、「社会」をつくると言っても過言ではない。

それらを人間の手に取り戻すためにはどうしてもアルゴリズムの「ガバナンス」の強化が欠かせない。今のアルゴリズムの基準は「ユーザーが好む情報」の一択だ。これを「多様性」、「公共性」、「透明性」の3つの基準の導入をプラットフォームの運営企業に義務付け、アルゴリズム全体のバランスをとる。

3つの基準の全体に占める比率は中立的な委員会を設け、そこで議論してもらう。アルゴリズムは基準の組み合わせの異なる数種類を用意する。最後は個人が自由に選択できるが、3つ基準については一定水準以下にはできないようにする。多様性や公共性のある情報は「共通プラットフォーム」が提供すればいい。

アルゴリズムを通じてSNSとAIを適切に制御することは、喫緊かつ重要な課題である。このまま放置しておけば、先にも述べたように社会と民主主義の将来に取り返しのつかないダメージを与える恐れがある。

日本だけでなく世界各国が早急にこの問題に取り組む必要がある。それができなければ、穴の底で自分が好む情報が落ちてくるのをじっと待ち続ける「情報アリ地獄」が、広大なニュース砂漠に広がる景色を見ることになるだろう。

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この記事を書いた人

元全国紙記者。ワシントン支局時代の2001年9月11日、「同時多発テロ」に遭遇する。その後、アフガニスタン、イラクと続くアメリカのがむしゃらな戦争に今に至る「アメリカのダウントレンドの始まり」を感じた。

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