広がるサプライチェーンの「二次的回帰」 ~ホルムズ海峡など地政学リスク表面化が背景 世界経済のブロック化も

ホルムズ海峡閉鎖のイメージ

トランプ米大統領は15日(日本時間)、アメリカとイランが停戦で合意したと発表しました。しかし、ホルムズ海峡が閉鎖前の状態にすぐに戻ることはないでしょう。今回の出来事は世界中にホルムズ海峡のような「チョークポイント」(海上交通の急所)がいくつもあることを浮き彫りにしました。地政学リスクを避けるため、世界中で企業が工場などにとどまらずサプライチェーン全体を自国周辺に再構築する「二次的回帰」が広がりつつあります。こうした「二次回帰」の動きについてレポートしました。

世界中で企業が「サプライチェーン全体」を国内中心に再構築する動きが広がり始めた。イランによるホルムズ海峡の閉鎖など地政学リスクが相次いで表面化していることが背景にある。世界をひとつの共通市場と考えた新自由主義(ネオリベラリズム)の下で、サプライチェーンを世界各地に広げてきた反動が一気に出た格好だ。

ホルムズ海峡のように生産や物流に深刻な影響を与えかねない「チョークポイント」(海上交通の急所)はいくつもあり、供給網全体の国内回帰は今後一段と強まる見通し。世界経済のブロック化が進み、すでに世界を3分割している政治的なブロック化と相まって、世界の亀裂と分断を加速する恐れがある。

日本経済新聞(2026年5月13日付朝刊)によれば、石油元売り大手の出光興産は5月12日、製油所を閉鎖する計画の撤回を正式に発表した。アメリカの攻撃を受けてイランが要衝のホルムズ海峡を閉鎖したことが直接のきっかけと考えられる。

原油の調達にとどまらず、日常生活に欠かせない化学製品の原料であるナフサの供給不安も強まっており、石油精製は経済安全保障に欠かせない重要な事業分野と判断したとみられる。同社は2030年度までの5年間に、総額5,900億円の資金を製油所中心の事業に投入するという。

目次

供給網の「一次的回帰」から「二次的回帰」へ

これまでもサプライチェーンを国内回帰させる動きはあったが、ほとんどは工場などの生産拠点を国内あるいは自国周辺に戻す「一次的な国内回帰」にとどまっていた。今回は生産拠点だけでなくサプライチェーン全体を国内中心に再構築する「二次的な国内回帰」と言える動きが世界的に広がりつつある。ホルムズ海峡の閉鎖など厳しい国際情勢の下で、一次的な国内回帰では危機を乗り切れないという考えが背景にある。

世界の主要な供給網全体(二次的)の回帰の事例

分野主な事例二次的回帰の内容背景
半導体台湾積体電路製造(TSMC)、インテル素材・装置・人材・電力網まで国内化台湾有事・米中対立
EV・電池テスラ、トヨタ自動車リチウム・電池素材を同盟国内へ移転中国依存リスク
医薬品ファイザー、EU原薬(API)や医療資材を国内調達コロナ禍
石油・化学出光興産備蓄・化学素材・輸送網を国内重視ホルムズ海峡危機
レアアースライナス分離・精製工程を中国外へ移転中国輸出規制
防衛産業米欧日各国火薬・半導体・特殊鋼を内製化ウクライナ戦争
食料日本、EU肥料・飼料・種子を国内確保穀物・物流危機
IT・データマイクロソフト、アマゾンデータ・AI計算資源を域内化サイバー戦争
海運・物流日本郵船、欧州海運各社港湾・保険・物流網を自国管理紅海危機
通信日米欧各国通信網を「同盟国仕様」に転換情報漏洩懸念
航空宇宙ボーイング、エアバスチタン・電子部品を同盟国中心へロシア制裁
インフラ日本・米国・台湾水・電力・港湾・送電網を整備半導体需要急増

アメリカではここ数年、半導体や半導体製造装置、生成AI(人口知能)など先端IT分野を対象に、関連産業を含めて丸ごと国内に留めようとする動きが目立つ。日本製鉄によるUSスチールの買収では、トランプ政権が直接介入。日本製鉄の経営のかじ取りに対する米政府の「拒否権」の導入を条件にようやく買収を認めた。世界で最も重要な二国間関係ともされる日米間でもこのような事例が起きているのだ。

このほか米国や欧州では医薬品の安全保障の観点から、中国やインドに頼っていた医薬品原料の生産を国内や域内回帰させようとの動きが出ている。中国の独占状態にあるレアアースの生産では、日本や米国、欧州、豪州などの同盟国が協力して中国以外から調達しようと模索中だ。ドローンの生産、データセンターの建設、クラウドの構築、航空機部品、食料、肥料、運輸など極めて幅広い分野で供給網の国内回帰の動きが強まりつつある。

サプライチェーン全体の国内回帰が広がる原因は3つある。ひとつはイランによるホルムズ海峡の事実上の閉鎖だ。世界の原油流通の2割を占める同海峡が初めて本格的に閉鎖された。いまでも多くのタンカーが海峡を通過できず、船舶保険の保険料も高騰、封鎖解除で米国とイランが合意しても、いつになれば閉鎖前の状態に戻るのか現時点では予想もつかない。

ホルムズ海峡封鎖の前には、ロシアのウクライナ侵略によって、エネルギーや穀物の重要な輸送路のある黒海での船舶の航行が一時ストップした。現実化はしていないものの、中国は台湾有事の際には台湾海峡を封鎖するとの観測も根強い。そうなれば台湾製の半導体の日本など世界各国への輸出が完全に止まってしまう恐れがある。

そして忘れてならないのが、2020年初めから世界的に大流行した新型コロナウイルスだ。一時は世界中でほぼ同時に物や人の移動が止まるという歴史上初めての事態に見舞われ、サプライチェーンの完全途絶の怖さを世界の人々に知らしめた。

ふたつ目の原因は、1980年前後から続いていた新自由主義が事実上、幕を降ろしたことがあげられる。新自由主義は、世界を国境に妨げられないひとつの巨大市場と考え、物やお金、人の移動の自由化を促進した。

日本を含めて世界中で生産拠点の海外移転、原料や部材の輸入の拡大、さらに研究施設や経営の意志決定の拠点まで海外に移す動きが相次いだ。企業は生産コストを少しでも安くするためにサプライチェーンを世界に張り巡らせたのだが、ある意味行き過ぎたグローバリゼーションと自由化の反動が噴き出たと言えるだろう。

世界的な地政学リスクの「常態化」と「長期化」

そして3つ目の原因は、世界的な地政学リスクの顕在化が長期化するとの見方が強まっていることだ。言い換えれば同リスクが「常態化」する恐れがある。ホルムズ海峡や台湾海峡以外にも原料や製品の供給路が絶たれると世界的な混乱を招く恐れのある「ホットスポット」は複数ある。

そして3つ目の原因は、世界的な地政学リスクの顕在化が長期化するとの見方が強まっていることだ。言い換えれば同リスクが「常態化」する恐れがある。ホルムズ海峡や台湾海峡以外にも原料や製品の供給路が絶たれると世界的な混乱を招く恐れのある「ホットスポット」は複数ある。紅海の入り口のもうひとつのスエズ運河とも呼ばれる「バブ・エル・マンデブ海峡」、中国や日本、韓国のエネルギーの生命線とも言える「マラッカ海峡」、それに穀物やエネルギーの輸送で重要な黒海、紛争ではないが渇水で使用が制限される恐れのある「パナマ運河」などである。

世界の「チョークポイント」

イランによるホルムズ海峡の閉鎖は、世界経済が海峡という「細い血管」に大きく依存していることを世界中に気づかせた。さらにイランが海峡閉鎖によってアメリカに少なからぬダメージを与えられたことで、今後、他の紛争当時国でも流通経路の封鎖を外交の材料に使おうとする動きが出てくるかもしれない。そして1980年前後に始まった新自由主義が約40年間続いたことを考えると、現在進行形の相次ぐ地政学リスクの表面化も長期化する可能性が高いと考えるべきだろう。

サプライチェーン全体の国内回帰は世界経済にさまざまな影響を与える。コストの引き下げを主眼にした世界的なサプライチェーンが崩れる結果、原料や製品、サービスの価格が世界的に上昇する見通し。国境を越えた人の自由な移動も難しくなり、人件費も上がる。価格にとどまらず、原材料使用の非効率化、物流面での無駄の発生、外国投資の偏在などが起き、世界経済の生産性は目に見えて低下すると可能性がある。新興国は自国製品の輸出先が先細りになるほか、海外からの資金流入も減少しかねず、苦しい立場に追い込まれるだろう。米国や中国に比べて国内市場が小さく、貿易に依存する割合の高い日本への影響も相対的に大きなものになるのは避けられない。

経済のブロック化進み、世界は政治と経済の両面で亀裂と分断加速へ

供給網全体の国内回帰の影響は経済面だけにとどまらない。第二次大戦後、東西冷戦、冷戦の終結、唯一の超大国となったアメリカ、アメリカの退潮と中国の台頭という時代の流れの中で、何とか大きな戦争だけは避けることができた。しかし、新自由主義に幕が引かれた今、世界は日米欧などの「自由主義陣営」、中ロ北朝鮮などの「権威主義陣営」、それにインドやブラジルなどの「新興サウス陣営」の3つの政治的なブロックに分かれている。

供給網全体を自国や自国周辺に回帰させる動きは、早晩、「経済のブロック化」につながる。経済的なブロック化は政治的なブロック化を加速するのは間違いない。すなわち世界は政治と経済の両面から分断が進み、最悪の場合、ブロック同士の衝突にも発展しかねない。すでに世界は米中ロの「3大核保有国」が直接の当事者となって、地政学リスクが顕在化する地域を3カ所も抱えている。これ以上、世界のチョークポイントに本物の火が付くことになれば、火種は燎原の火ごとく世界中に広がることになりかねない。そうならないためには米国とイランに加えて関係各国がホルムズ海峡の閉鎖問題を早急に解決するとともに、ホルムズ後の海峡管理のルールや紛争発生時の協議の場の設置など新しい事態に備えた新しいルールをつくる必要がある。

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この記事を書いた人

元全国紙記者。ワシントン支局時代の2001年9月11日、「同時多発テロ」に遭遇する。その後、アフガニスタン、イラクと続くアメリカのがむしゃらな戦争に今に至る「アメリカのダウントレンドの始まり」を感じた。

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