
アメリカが世界のリーダーの座を降りた「代償」が顕在化しつつある。
その第一は、米国は世界に対して何をすべき国なのかという自己認識(存在意義)が揺らぎ始めていることだ。
第二は、同盟国を含めて世界の多くの国がアメリカと距離を置こうとし始めていること。
そして第三、これは世界が払うべき代償だが、アメリカという世界秩序の後ろ盾を今回は確実に失いつつあるという不安感と喪失感である。
なぜアメリカは世界のリーダーを辞めたのだろうか。
アメリカは少なくとも第二次大戦から世界のリーダーだった。大戦中には連合国のリーダーとして枢軸国の日独伊と戦い、全面的な勝利に導いた。
戦後、ほどなくして始まった冷戦期には、西側の盟主として旧ソ連率いる東側との冷たい戦争を戦い抜いた。
さらに冷戦が終わる少し前、1980年ごろから始まった「新自由主義(ネオリベラリズム)」の時代には、米国は英国とともに牽引役となり、世界中に新自由主義を広めた。
世界は国境を越えてひとつの巨大なマーケットとなり、物、人、資本、文化、価値観などが世界中を自由に駆け巡るようになった。
「新自由主義」の終焉がアメリカの「普通の国」への道を開いた
中でも新自由主義はアメリカが考えていた以上の成功を収め、米国の金融資本や富裕層に膨大な富をもたらした。
反面、新自由主義は世界中の格差を拡大し、米国内でも富裕層がより豊かになる一方で、中産階級が没落するという事態を招いた。
そうした内外の情勢変化の中で登場したのがトランプ大統領だ。彼は「世界のリーダー(警察官)から降りること」を事実上、宣言。「アメリカ・ファースト」の旗を掲げ、進路を「普通の国」へと大きく舵を切るのだった。
「3つの代償」をもう少し考えてみよう。第一の代償について、アメリカの代表的なシンクタンクの米外交問題評議会(CFR)は、2026年5月に掲載した論文の中で概略こう分析した。
アメリカは自国の世界での役割について「第二次大戦後、(今が)最も不確実な状態にある」と。
アメリカ国民は建国以来、自分たちの国は「特別な国」であり、「世界を良くする責任がある」という意識を持ち続けてきたと言われる。
この考えの源流にあるのは1776年の独立の際、アメリカは単に「イギリスから独立した国」でなく、「自由、平等、人民主権という普遍的な理念を実現するために建国された特別な国」という自己認識を持つようになったことがあげられる。
建国以来の米国は「特別の国」と「普通の国」との意識の葛藤
そのアメリカが建国から約250年後、トランプ大統領の下で「普通の国」になろうとしている。
米国民の多くはコストのかかる世界のリーダーに戻る気はないが、それでも建国以来の「特別な国」へのこだわりが存在する。
「普通の国」になったアメリカには、もはや「世界を良くする責任はないのか」―。この「普通の国」と「特別な国」の狭間でアメリカ人は悩んでいる。
そして「普通の国」になったアメリカの新しいレーゾンデートル(存在意義)は何か。その答えが簡単には見つからないことも米国民の心をさらに不安定なものにしていると言えよう。
第二の代償は、「普通の国」になり、「アメリカ・ファースト」を振り回すアメリカに対して、世界の多くの国が困惑し、米国と距離を置こうとし始めていることである。
アメリカは2025年に同盟国を含む世界各国に対して一方的に高額の相互関税(その後連邦最高裁より大統領の課税権限に異議ありと判決)をかけたほか、今年2月には突然イランを攻撃して最高指導者を暗殺。
さらに日本海に向けてミサイルを何発も発射する北朝鮮の金正恩総書記に対して、自分は彼と良好な関係を持っており、年内にも会談したいと公言。
「普通の国」になったアメリカは、世界秩序や同盟国への配慮は必要ないと考えているかのような行動を取り始めている。
距離置き始めた各国と、「普通の国」になったアメリカの「悪循環」
そんなアメリカに対して日欧を含む多くの国は、米国の要請にすぐに応じようとはしなくなりつつある。
以前ならば、世界秩序を守るという看板の裏に米国の利益が隠れていても、アメリカの要請をむげに断るわけにはいかなかった。
だが、「普通の国」になったアメリカに対して、各国は「普通の国」に対する行動に出るようになった。すなわちアメリカを特別扱いしなくなりつつある。
一方、アメリカは自分の要請をすんなり聞かないとみると、より強硬な姿勢で各国に要求の受け入れを迫る。
そうすると各国は一段とアメリカとの距離を置こうとする。この「悪循環」がすでに始まっているようにもみえる。
実際、8月中旬にベッセント米財務長官が発表したイランに対する広範囲の経済制裁に関して、同盟国を含む各国に制裁に協力するよう強く要請したものの、今のところ積極的な協力を表明した国は極めて少ない。
第三の代償は、アメリカ以外の世界の国々が払う代償である。
かつてのリーダー時代のアメリカも、他国に無理難題を突きつけることが少なくなかったし、「世界の警官役から降りる」(2001年就任のジョージ・ブッシュ元大統領)という発言を繰り返していた。
それでも本当に困った時は渋々ながらも警官役を引き受けてくれた。しかし、今回は本気で「世界のリーダー」を辞めようとしているようにみえる。
加えて今は警官役を果たすどころか、米国自身が世界の秩序を壊しかねない行動を取っている。
日欧を含む多くの国は米国という世界秩序の後ろ盾を本当に失いつつあると感じ始めている。アメリカという後ろ盾を欠いた世界は一体どうなるのか、という将来への不安感が世界に広がり始めている。
「普通の国」になったアメリカはどこに向かうのか。そして国家としての新しいレーゾンデートルをどこに求めようとしているのか。
多分、世界のリーダーの座からは降りるものの、「世界最強の力を持ち、世界の中心でありたい」と考えているのではないか。
わかりやすく言えば、世界秩序に責任を持つリーダーではないが、世界のさまざまな重要案件について、アメリカが最大の影響力を持つ地位にとどまりたいと望んでいるように感じられる。
もう少し絞り込めば「中国に立ちはだかる世界最強の国」が米国の新しいレーゾンデートルと考え始めているのではないか。
このわかりやすい存在意義こそが「普通の国」になったアメリカを象徴的に示していると言えるだろう。
次の問いはアメリカという世界のリーダーを失った世界はどこに向かうのか、である。
よくよく考えてみればトランプ大統領以前の米国ように、軍事力、経済力、自由と民主主義、文化、科学技術など多くの点で他国を圧倒する国が世界のリーダーだった時代は歴史的に異例とも言える。
アメリカの直前の覇権国のイギリスは米国のように圧倒的な軍事力を持っていたわけではないし、そもそも世界秩序の後ろ盾になる覚悟もなかった。
強いて言えば13世紀以降、ユーラシア大陸にまたがる巨大な帝国を築いたチンギス・ハーンの時代以来と言えるかもしれない。その意味でトランプ以降の世界は歴史上の標準形に戻ろうとしているようにみえる。
米国民の間にまだ残る「特別な国」としての責任感が再びアメリカをリーダーの座に返り咲かせることはあるのか。
結論から言えばその可能性は小さいだろう。少なくとも今後数十年はないと考えられる。米国内の世論調査の結果をみても、世界のリーダーに戻るべきだとの声は決して大きなものではない。
第二次大戦前と重なるすべての国が「普通の国」になった世界
新自由主義の時代に世界のリーダーであり続けることはアメリカ自身の利益にもなった。
新自由主義はアメリカの金融資本に莫大な利益をもたらし、GAFAを筆頭とする情報産業は今でも世界を席巻する存在だ。
国内外の格差拡大は、新自由主義の固有の失敗というよりは、格差拡大を防ぐ政策を実現できなかった民主主義、あるいは政治の失敗と言えなくもない。
いずれにしろ、新自由主義の後に「新しい主義」や「新しい時代」が生まれていない以上、トランプ大統領が新自由主義に終止符を打った瞬間、アメリカが世界のリーダーの座から降りるのはある意味で必然だったと言える
すべての国が「普通の国」になった世界、それはどのような姿になるのだろうか。
世界秩序の後ろ盾を失い、すべての国が「自国ファースト」を訴える世界。それは第二次大戦前と重なるようにもみえる。
米国の著名な作家で思想家のマーク・トウェインは「歴史は完全には繰り返さない。しかし、しばしば韻を踏む」という言葉を残したとされる
第二次大戦後、80年余りの間に、我々は同じ失敗を繰り返さないだけの知恵を手にしたのだろうか。
