
三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は7月13日、日本企業の時価総額で日本一に踊り出た。銀行が時価総額トップになるのは、バブル経済が始まった1986年の住友銀行以来、約40年ぶりという。
バブル崩壊後、金融システム不安が発端となった「失われた30年」は、少なくとも金融面では幕が引かれつつあるようにみえる。だが、次の「ポスト金融不安」の時代に、銀行が目指すべきは時価総額「日本一」なのだろうか。
MUFGの時価総額は同日の終値ベースで約42兆円となり、トヨタ自動車など並み居る日本を代表する企業を抜き去った。
その少し前の5月15日に発表された2025年度(2026年3月期)の決算。連結純利益は前期比30.3%増と大きく増え、2兆4,272億円と初めて2兆円台にのせた。日銀の利上げで貸出金利が上昇したほか、法人向け融資が堅調に推移したのが主因だ。
さらに米国やアジアなどの海外事業が好調だったことに加えて、MUFJが保有する米大手投資銀行モルガン・スタンレーの株式の利益も貢献した。MUFJ以外では三井住友フィナンシャル・グループ(FG)は1兆5,829億円、みずほフィナンシャル・グループ(FG)は1兆2,486億円といずれも健闘したが、MUFJには及ばなかった。
MUFGは株価対策にも力を入れている。好決算を受けて25年度の株主配当は前年度の年間64円から86円へと大幅に増額された。配当は2022年度の32円から25年度の86円まで、3年間で約2.7倍に膨らんだ。
決算発表と同時に26年度上期分として1,000億円の自社株買いも発表した。市場で流通する株式を自分で買い入れ、株価を上昇させるのが狙い。MUFGはここ数年、自社株買いを積極的に進めてきた。
自己株取得枠(決議ベース)は2024年度以降の3年間(26年度は上期分)で総額1兆円に達する。こうした配当の増額や自社株買いが時価総額「日本一」に大きく貢献したのは間違いない。
MUFGの時価総額「日本一」は冒頭に述べたように、「失われた30年」が金融面で終わりつつあることを象徴的に示している。
金融不安の始まりは1997年11月の北海道拓殖銀行や山一証券などの経営破綻だった。翌98年10月には日本長期信用銀行、12月には日本債権信用銀行と日本を代表する大手金融機関が立て続けに破綻に追い込まれた。
当時は金融システムを安定させる有効な対策はなく、まるで地獄の蓋が開き、あらゆるものが飲み込まれていくような恐怖があった。日本を代表する金融機関があっという間にバタバタと倒れていく姿は想像もつかなかった。
その後、“泥縄的”に金融機関を支援する「公的資金制度」がつくられたが、日本経済が未曾有の金融システム不安に突入するのを防ぐことはできなかった。結局、経済の血液と言われるマネーの循環は著しく滞り、日本経済は30年に及ぶ実質ゼロ成長の「失われた30年」に突入するのだった。
銀行は「株式会社」と「社会インフラ」の2つの顔を持つ
厳しい金融不安の時代を名実ともに乗り越え、時価総額「日本一」を成し遂げたMUFJの経営努力は高く評価できる。次の課題は「ポスト金融不安」の時代にどのように向き合うかである。
銀行は「ハイブリッドの組織」と言える。利益を上げ、配当をし、成長を目指す「民間の株式会社」の側面と、決済システムを担い、一般の人から広く預金を集め、それを貸し出して日本経済を回していく公共性の高い「社会インフラ」の側面の2つの顔を持つ。
だから銀行法第四条第1項には「銀行業は、内閣総理大臣の免許を受けた者でなければ営むことができない」と明記されている。金融不安を引きずっていた時代には、利益を増やし、株価を上昇させ、何が起きても耐えられるよう経営基盤を強化することが最優先だったのやむを得ない。
しかし、「ポスト金融不安」の時代を迎えようとする今、このままでいいのだろうか。言い換えれば、今後も時価総額「日本一」を最優先の目標に据えることが望ましいのか、という点が問われている。
メガバンク3行をはじめとする金融機関は、配当を増やし、自社株買いに力を入れている間、預金者や国民への利益還元とのバランスは十分に考慮されたのか。
2000年前後以降、メガバンクの店舗は約40%も減り、少し前まであった店舗がいつの間にかなくなっていたという経験は珍しくない。少なくなった店舗に何かの相談に行けば、何十分も待たされる。
ATM(現金自動預け払い機)の利用料や各種振り込みの手数料は軒並み大幅に引き上げられた。そうして銀行と預金者・国民との距離は確実に開いていった。
わかりやすい事例として預金金利はいまでもかなり低い水準に据え置かれている。日銀は24年3月に異次元金融緩和を事実上やめた。その後、銀行の貸出金利は“順調”に上昇する一方、預金金利の上昇は遅々として進んでいない。
MUFJの直近の短期プライムレート(最優遇貸出金利)は年2.375%であり、日銀の異次元緩和終了後の上昇幅は0.75%になる。一方、直近の普通預金の金利は年0.4%で、上昇幅は約0.4%にとどまる。
貸出金利の上昇幅は預金金利の2倍近くになる。通常、金融緩和が終了して間もない時期は貸出金利が先行して上がるが、それでも日銀などの分析によれば、「今回の貸出金利への転嫁は比較的速く進んでいる」という。
銀行の貸出金利や預金金利は日銀の金融政策の影響を受けるが、最後は各行の自由競争に基づく経営判断で決まる。しかし、以前は13行あった都市銀行は現在、メガバンク3行に統合されている。
経営統合は金融機関の経営体力を高め、金融システムの安定化に資するため、やむを得なかった。だが、わずか3行では十分な競争は期待できず、一般企業の基準に照らせば事実上の「寡占状態」と言えよう。
銀行間で競争原理が働きにくくなれば、貸出金利は上がりやすくなり、預金金利は上がりにくくなるのはしごく当然である。
1997年11月の金融危機以降、金融システムを安定させるために政府が用意した広義の公的資金枠は100兆円規模に達すると言われる。実際に投入された公的資金は47兆円前後だった。
公的資金は国民の税金である。これだけ巨額の税金を投じて金融機関を救済し、金融システムを守ろうとしたのだ。今回、時価総額「日本一」になったMUFJ(当時は東京三菱銀行)も、1998年に1,000億円の公的資金の注入を受けている。
同行は積極的に公的資金の注入を望んだわけではないようだし、すでにかなり前に返済済みだが、少なくとも当時、1,000億円という大きな公的資金が資本強化に役だったのは間違いない。
やや“ウエットな話”に聞こえるかもしれないが、今後の日本の金融システムのあり方を考える上で重要な話をしたい。「ポスト金融不安」の時代を迎えつつある今、銀行は利益を追求する株式会社としての側面と、公共性の高い社会インフラとしての側面、この両者のバランスを回復させる必要があるのではないか。
このまま金融不安を引きずっていた時代と同じ様に経営基盤の強化が最優先され、預金者や国民が十分に顧みられることがなければ、彼らの間には看過できない「失望感」が広がるだろう。
税金を何十兆円も使って金融機関を救済し、金融システムを守っても「預金者や国民は、結局、コストカットの対象としかみられていない」という失望感である。それは金融機関の存在価値と公的資金に対する失望感につながりかねない。
これまで世界中で金融危機は何度も何度も起きている。今後、新たな危機が発生し、再び金融機関を救済する必要に迫られることがないとは言い切れない。そんな時、「税金を使っても銀行を救うべきだ」という国民の声がなければ、日本の金融システムを守ることは難しくなるのではないか。
メガバンクは利益の約半分を海外業務が生み出す
さらにMUFGを筆頭に、三井住友FG,みずほFGのメガバンク3行は利益の多くを海外業務であげるようになった。MUFGの海外業務の利益は、全体の55~60%程度とすでに半分を超えており、三井住友FGは50%程度、みずほFGは40%程度となっている。
MUFGの場合、2014年度には36%程度だったので、この10年ぐらいの間に急速に海外業務の利益の比率が高まっていることがわかる。国内業務は日銀による超低金利政策の長期化で貸し出しの利ざやが縮小し、儲からなくなっていた。加えて日本の少子高齢化は世界最速で進んでおり、成長の見込める海外市場を開拓する必要性に迫られていたという事情もある。
ただ、海外市場は収益チャンスが大きい一方、リスクも小さくはない。2008年にアメリカで起きた「リーマン・ショック」は世界の金融システムを激しく動揺させた。
加えて最近は世界中で地政学リスクが急上昇している。2022年2月のロシアによるウクライナ侵略をはじめ、2026年2月のアメリカとイスラエルによるイラン攻撃、そして最高指導者の暗殺、イランによるホルムズ海峡封鎖とだれも予想できなかったようなことが次々と起こっている。アジアでは中国の台湾に対する締め付けが強まりつつあることも大きな懸念材料である。
リーマン危機、欧米で「利益は民間、損失は社会へ」という銀行批判
メガバンクは海外事業のリスクヘッジをちゃんとやっているし、海外業務の利益があるからこそ自己資本を厚くすることができると主張するかもしれない。
ただ、現在の世界情勢を見る限り、アメリカ自身の不可解な行動を含めて、第2次大戦後、約80年間続いた国際秩序が崩れつつあるようにみえる。
この予想もつかない世界情勢の変化のさなか、50%前後、あるいはそれ以上の利益を海外業務に頼るという収益構造に死角はないと言い切れるのか。
ある日、世界経済が予想もできない大激震に見舞われ、日本の金融機関も深刻な痛手を被り、早急に救済が必要になったとする。可能性は低いが、ゼロではない。
そうなれば再び国民の税金を使った公的資金が必要になるかもしれない。銀行は海外業務であげた多くの利益で、株主配当や自社株買いに力を入れてきた。一方、預金者や国民は「銀行は自分たちをコスト削減の対象としてみていない」と感じている。
そんなところに海外事業が引き金となって、公的資金を使わざる得ない状況に陥れば、「利益は民間、損失は社会へということか」と銀行のモラルハザードを批判する声があがる可能性がある。これは実際にリーマン・ショックの時に欧米で広がった銀行批判である。
預金者や国民は銀行の最大の資金基盤を提供している。メガバンクの資金調達の中心は預金だし、預金保険制度や日本銀行の制度など公的な安全網の下で資金は集められている。
つまり、銀行は一般企業とは異なり、公共的な制度に支えられた経営基盤を持っている。そのような銀行が利益の半分以上を海外で追求し、その利益は主として株主へ還元される一方、大きな損失を被る時には国民が金融システム維持のための負担を負う可能性がある。
そうなれば「銀行の利益とリスクの配分は適切なのか」という疑問が出ることは十分に考えられる。
くどいようだが銀行は民間の株式会社と、公共性の高い社会インフラの2つの顔を持っている。「ポスト金融不安」の時代に合わせて、銀行のあるべき姿について金融当局を含めてもう一度議論するべきではないか。
さらに民間企業と社会インフラの2つの側面の微妙なバランスを取り戻す努力が求められているのではないか。
もし、銀行の社会インフラとしての側面を充実させる必要があるとすれば、経営の指針となる新しい指標を導入することも考えられる。顧客サービスの充実度や地域経済への貢献度、預金金利の水準などを盛り込んださまざまな経営指標が選択肢になるだろう。
もちろん銀行にも言い分があるだろう。銀行の経営者は会社法上、企業価値の向上を目指す責任がある。自己資本が十分で貸出余力もあるならば、余剰資本を株主へ返すのは合理的だという考え方である。
ただ、それでもなお「ポスト金融不安」の金融機関の経営は、株式会社と社会インフラの2つの側面のバランスを取り戻す必要があるのではないだろうか。
旧三菱銀行の伊夫伎頭取を踏みとどまらせたもの
私は今でもバブル真っ盛りの1980年代後半に頭取を務めた旧三菱銀行の伊夫伎一雄氏の言葉を思い出す。
バブル崩壊の深い傷跡が表面化しつつあった頃、三菱銀行の不良債権は他行に比べてかなり少ないとみられていた。「三菱は先見の明がありましたね」と振ると、伊夫伎氏はこんな話をしてくれた。
バブル期には三菱も融資の拡大にかなり力を入れた。今までなら貸すことのなかった小さなところにも食い込もうとした。しかし、どんなに支店が頑張って営業をかけても、いつも関西のある銀行(実際は具体名あり)に先を越されていた。
そこではたと気づいたという。「うちはこれ以上のめり込んではいけない」と。だから先見の明があったというかっこいい話ではなく、すんでのところで踏みとどまれたのだと、当時を振り返るのだった。
改めて考える「銀行はだれのための存在か」という問い
バブルが始まったころ、日本の金融機関は自信満々だった。当時は自分たちが未曾有の信用不安に巻き込まれるなどと想像すらしなかっただろう。近い将来、日本経済はアメリカと肩を並べ、邦銀は米銀を抜き去る時が来るに違いないと、自信を深めていたはずだ。
今回、40年ぶりに時価総額「日本一」になったMUFJを含め、日本の銀行は「ポスト金融不安」の時代にどう向き合おうとしているのか。
この時代の変わり目にしばし立ち止まり、「銀行はだれのために存在するのか」という根本的な問いを考えるのも悪くはない。それから日本一、いや世界一の時価総額の銀行を目指しても遅すぎることはないのである。
